さあ、扉を開けてみましょう
いつも自分がしようと思っていて後回しにしていることはありませんか?
それこそがあなたが実は本当にやりたいことなのだと知っているでしょうか?
あなたはもしそれをやり始めて、そしてうまく行かず、それをやることができない自分かもしれないことを知りたくないのです。
やってみてもいないのに、そのことができないかもしれないことを怖がっているのです。
簡単なことです。やってみればよいのです。
それがどのような結果になろうとも、あなたは一つの扉をそこで開けることになります。
その扉を開けた先には、更にいくつかの扉を見つけるはずです。
あなたが単に自分の開けるべき最終の扉だと思っていたことが、そうではなかったことがわかるかもしれません。
たとえ現実面でそれが失敗に終わったとしても、開けなければ扉の先は見ることができません。
あなたがそうしたいと願ったとき、どんな人にでも扉は開きます。
その扉が正しいかどうかなんて全く関係ないのです。
それはあなたが進む道をさし示しているだけだからです。
さあ、扉を開けてみましょう。
その先に何があるか覗いてみましょう。
あなたがこの場所で足踏みしていても、世界は何も変わりません。
あなたが扉を開けて前へ進むことは、あなたの後ろを歩いている人達にも道を作っていくのです。
そのことを忘れないでいて下さい。
あなたに戻るだけ
全ての時はあなたが経験をするためにあります。
なぜなら、時は元々ないものだからです。
あなたが体験をするという時、あなたの身体を使ってそれをするため、密度が生じます。
その密度が存在する場所として、時が存在するようになるのです。
過去・未来・現在、どの瞬間を切り取っても、それはあなたがあなたであるために存在します。
あなたはただあなた自身でいればよいのです。
何も足したり引いたりする必要はありません。
あなたでないものを手放し、あなたに戻るだけなのです。
過去も未来もあなたに影響を与えたりはしません。
そうされると思い、そうされる体験をしたいと、ただあなたが創り出してしまっているだけです。
あなたはそのままで完全です。
あなたは神であり、神はあなたなのです。
源泉からの流れ
整うということをあなたは考えてみたことがあるでしょうか。
整うというのは、すべてがうまくいくことではなく、すべてが流れるように進むということです。
あなたが今自分で取り組んでいることが、あなたのハートから流れ出るようなエネルギーで行われているとき、それは整った状態ですべてが現れます。
あなたの現実が滞っていたり、流れるように進んで行かないときは、その根源から流れ出させているものが違っているのです。
源泉という言葉があります。
それは魂から湧き出るものです。
そしてそれはあなた自身のエネルギーがそのままあふれ出して現実化するものです。
そのままで進んで行くとき、あなたは何も心配することはなく、あなたの現実はミラクルということが当たり前でしかないように全て進んでいきます。
現れている現実から、その源泉への繋がりを辿ってみましょう。
あなたが流れ出させるエネルギーは、あなたが意図したところから流れ出しているでしょうか。
すべては最初に決まっています。
あなたが何の蓋を開けるのか、あなたがどこから始まっているのか、常に現れる現実からそれを検証しましょう。
あなたがずれたと感じる時、それは一刻の猶予も残さずに変化させるべきものであるのかもしれません。
とことん素直に受け取っていきましょう。
そこに理由や言い訳を乗せるのはやめましょう。
あなたが為すべきことは、あなたが最初に開いた源泉からの流れを止めない事です。
なので、どこを開けるかを間違えていないかを知ることは大切なのです。
現実を見て、その間違いに気づきましょう。
あなたがプランしたものは、うまくいくのが当たり前なのです。
旅をすることで思い出す感覚
旅をするということは、人生を生きることと似ています。
それは自分の頭で考えたことというより、何かに突き動かされるようにインスピレーションを得て、それを行動に移すことだからです。
人生がつまらなかったり、停滞していると感じる時は、この旅の感覚を思い出すとよいでしょう。
すべてにおいて、ワクワクした感覚を優先させ、それを実行する、そのパターンを取るようにすることで、あなたの人生はアクティブに動き出します。
あなたが旅をする時、あなたは今いる場所よりずっと先へと向かいたいと感じているはずです。
それを毎日の人生においても行うことができるのです。
非日常でなければできないことというのは、実は存在しません。
日常であっても、あなたがどう在るかということで、それは非日常と同じような瞬間瞬間を生きる美しさで満ち溢れるのです。
旅は、それを忘れているときに思い出すためにあります。
あなたが地球上のどこに在っても、いつもその瞬間を生き切り、惰性に流されず、ワクワクして生きることが可能なのです。
旅をすることで思い出すその感覚を、日常で生かして下さい。
旅にさえ出ることを忘れている人は、非日常を効果的に使う喜びを知って下さい。
すべてはあなたが決めることができるのです。
何をするか、何を見るか、何を味わうか、何を体験するか...。
あなたの人生は喜びに満ちていますか?
あなたは今この瞬間を喜びにあふれて生きているでしょうか?
過去も未来も変化する
時間が消えています。
時間の感覚が、以前とは違っているのに気が付いているかと思います。
あっという間に時が経ってしまうことや、とても時間が経ったように感じても、実際はそれほど時間が過ぎていないという体験をしたことがある人は多いでしょう。
何故時間が無くなっていくのか。
それは我々の住む地球が、以前とは違った次元へと上昇しているからです。
時間は直線ではありません。
一点に複雑に絡み合うように存在しています。
過去がすぐそこにあったり、未来がここに存在していたりします。
それは常に変化するものであり、流動的に変わり続けます。
身近な人と、自分の記憶が違っていることがないでしょうか。
それが起きる時、あなたは時空を移動していることを感じるでしょう。
あなたが過去だと思っていることは、実は今ここにいるあなたの過去ではないからです。
あなたの記憶にあると自分で思っているものは、違う時空での過去の出来事だったりするのです。
それが度重なると、あまり不思議には思わなくなっていくことでしょう。
それで構いません。
過去も未来も変化するものなのです。
今ここにいるあなたが変化すると、全てが変化します。
これまであなた方が「常識」だと思っていたことも、これからは常識ではなくなっていくでしょう。
柔軟な思考を持ち続けて下さい。
起こる出来事を否定するのではなく、一度受け入れてみてください。
そうすることで、それが何故起きたのか、何故そういうふうになったのかが、おのずとわかってくることでしょう。
複雑に絡み合った時空を生きる今、固定されたものはどこにもないのだということを知って下さい。
あなたの指針は常に今ここにあり、あなたが選ぶことが新たにあなたの人生を作り続けていくのです。
美しい人生を生きる
この世界の美しさに触れる時、あなたは生まれてきたことの喜びを感じることでしょう。
美しさとは見えるもの聞こえるものだけではありません。
生きることに工夫を凝らし、マイナスであったものをプラスにし、無かった場所に何かを生み出すこと、そういった人間のさまざまな営みのすべてが美しさです。
人間は不完全な存在です。
不完全な存在が、完全さを求めて何かを作り出す、そのプロセスそのものが美しさなのです。
決して完璧にはなれないとあきらめるのではなく、完璧にならないからこそ永遠にそれを続けることの愛しさを慈しみ、終わりのないゴールへ向かうその生き方を私達は美しいと感じるのです。
そして、ゴールがあると思ったことさえが実は幻想であり、すべてはこの一瞬一瞬に存在し、無限の点が線であるとそこに時間を作るとき、私達は命を知るのです。
命はそこにあって、そして同時にそこにはないものです。
永遠と言うのは、あると言えばあるし、無いと言えば無いもののことを指すのです。
実存するかどうかということは本当はどうでもよいのです。
それが夢であっても、幻であっても、現実だと思うものであったとしても、それらは全て同じなのです。
あなたという存在そのものが全てを表わし、同時に全てはあなたに集約されるのです。
美しさとは、その一瞬の煌きを感じる感覚のことを伝えています。
あなたの人生は、ただ美しさを追い求め、それを知る旅なのです。
地球の美しさは人間の美しさと同じものです。
私達は地球の一部です。そして地球以外のすべてでもあるのです。
あなたが「美」と呼ぶものが何かを知ることで、あなたの人生を知るでしょう。
あなたが美しいと感じる瞬間を体験するために、あなたはこの人生を生きています。
美しい人生を生きましょう。
あなたそのものが美しいということを知る旅路を生きていきましょう。
あなたが望む世界を生きる
幼子の笑顔に触れる時、つられて同じように満面の笑みを浮かべる人がほとんどでしょう。
小さな子供の笑顔は、天使の笑顔そのものだからです。
彼らは故郷の波動を湛えています。
その澄み切った瞳に輝く光は、あなた方が忘れてしまった故郷のエネルギーです。
ではお年寄りはどうでしょう。
難しい顔をして、眉間にしわを寄せて、この世にあるさまざまな理不尽や思い通りにいかないことに愚痴を並べている人が多いでしょう。
しかしその反面、いわゆるボケと呼ばれる症状を呈している人達や、もうあの世へのお迎えが近いからと笑う人達は、幼子と同じような美しい笑みを浮かべる人が多いでしょう。
その違いはどこから来ているのでしょうか?
人間として生きる時に浮かび上がる葛藤の中にどっぷりとはまっているかどうか、それが両者を分けるものになっています。
では葛藤とは何でしょうか?
それは私達が人間として体験したいと願ってきた、自分の本質を知るために通る困難な道のりのことです。
思い通りにいかないこと、苦しみや悲しみの元になる出来事、完璧になりたくてもなれない苛立ち、過去世から持ち越してきた課題、それらは人間が人間であるために必要不可欠であり、そういったものをクリアリングしていくことに人は生きている喜びを感じます。
しかし私達はもう、その人間の喜びを越えた場所に行こうとしています。
苦しみや痛みを喜ぶ生き方を卒業し、スピリットである自分、故郷にいるときと同じ自分の波動で生きることを選び、生まれた時とあの世に戻る時に近い波動でこの人生を生きようとしています。
ええ、私達にはもうそれが可能なのです。
苦しみ、悲しみ、痛み、孤独などと無縁に生きる人生は、あなたが望めば手に入るのです。
望みましょう。
美しい光の中を生きると決めましょう。
私達の経験してきた闇は、ただ光を知るためにそこにあったのです。
この世界はあなたが創っています。
いかようにも形作れる世界を、幼子の目に宿る光で埋めることができるのです。
あなたが望む世界を、たった今から生き始めることができるのです。
故郷はいつもここにあるのです。