メッセージ~2018年 皆既月食の夜に~
心の中にあることを現実化するというのは、自分の意志で左右するものではありません。それは、意識的であるとか無意識であるとかいう区分がなく、すべてが自分が必要としていることを現実に起こしているということです。
ある時、自分が右へ行こうと思ったのに、知らないうちに左へ向かってしまっていたということがあるかもしれません。しかしそれは、無意識の領域で、あなたは左へ行きたいという望みを持っていて、それが現実化しただけにすぎません。
なので、起こることに自分で責任をとれというのは、ある意味正解なのです。誰かが何かをした、誰かのせいでこうなった、世間が、社会が・・と言っていても、それはとても不思議で勝手な物言いなのです。
あなたは、あなたのしたいようにこの世界を構築し、そしてそれを生きています。この世的に不幸であるように見えることも、すべて自分が体験したいと望んで引き起こしている現実です。
カルマの法則というものがありますが、それさえも、カルマを作ったり減らしたりしたいがために、現実を使って遊んでいるようなものなのです。すべては壮大な魂の戯れです。そして、その壮大な魂の戯れが、今壮大なゲームの上がりに向かって進んでいるのです。
人類が決めてきたゲームのゴールは、もう見えてきています。あなたはただ淡々と、そのゴールに向かって進むだけです。どうやって駒を動かして、その駒の動きに一喜一憂して、周りの人と協力したり、迷惑をかけたり、一回お休みしたり、途中でリタイヤすることさえも自由です。あなたが上がろうと上がるまいと、ゲームの終了は決まっています。そこに向かって、あなた方すべては進んでいます。
そして、次のゲームが始まろうとしているのです。そのゲームに参加するのもしないのも自由です。そのゲームのスタートに間に合うか間に合わないかも、あなた方しだいです。もちろん自分のペースでも進むのでも構いません。約束した仲間達と一斉にスタートするのもまた楽しいものです。あなたがどの方向へと進みたいかは、すべてあなたが決めてきています。でもその記憶は遥か遠くにあり、記憶に頼ることなく新しい道を選んでも構わないのです。
あなたはどこへ進みますか?魂の望みがわかりますか?あなたの仲間達はどこにいますか?すべてを思い出したいとは思いませんか?
あなたが決めればよいのです。思い出すと、決めさえすればよいのです。いつも私達はここにいます。あなたが呼びかけてくれるのを待っています。怖がる必要はありません。私はあなたと同じです。肉体を持っているかいないか、ただそれだけの違いです。
私達はいつもあなた方に語りかけています。それを言葉で受け取る人もいますし、絵で受け取る人もいます。音楽で受け取る人もいますし、肉体の衝動で受け取る人もいます。なんでもよいのです。どこからでもよいのです。すべて、あなた方の自由なのです。
私達の伝えていることは、色んな場所からこの世界に伝えられています。受け取りやすいものを、受け取るときに心地よいものを、あなた方は選んで受け取ればよいのです。今ここにいることが、最高に心地よく、そして自分の中に力がみなぎるものを受け取って行ってください。
大きな始まりが訪れています。そのスタートはすでに切られていますが、本格的にあなた方の世界が変わっていく始まりがやってきます。これまで自分の世界になかった概念に対して、ハートを開いて受け取っていって下さい。自分を疑わないで下さい。やってくるものを押しやらないで下さい。
誰かたった一人だけでもよいのです。あなたの言葉に目がきらりと輝くのを見つけられればよいのです。それがあなたがしたいと願ってきたことなのです。数ではないのです。力でもないのです。そこにあるのは、ただ繋がることです。人と人とが繋がり、天と人とが繋がるのです。
物理的現実はこれからどんどん変化して行きます。記憶も書き換えられていきます。何が真実かわからなくなるかもしれません。それでもあなたは知っています。ハートの奥にある変わらないものを感じ取ることができるからです。その光を信頼してください。あなたが感じる暖かさを大切にして下さい。答えはすべて自分の中にあります。なぜなら、自分は自分であって自分でないからです。
大いなるものと繋がっている自分に気付いて下さい。ジャッジメントと呼ばれるものは、その自分から遠くなるだけのあなた方のゲームのツールです。真実から目を逸らさないで下さい。自分が感じることを信頼してください。そこに正しさを求めないで下さい。いつでもあなたは知っていると言うことを、信頼してください。
大きな浄化が訪れています。その浄化の波を超えたところに、あなた方の始まりがあります。本当の自分を知ることが多くの人々に起きてきます。そこから目をそむけないで下さい。たとえそこに、見たくないものがあるとしても、その先へとさらに進むのです。そこにあるものが真実だからです。
私達はいつもあなた方を見守っています。そっと側に寄り添っています。必要がある時は声をかけて下さい。たとえ人間の言葉でそれが伝わらなくても、あなたには必ず答えがわかるはずです。その直感的な閃きを信頼してください。
いつもいつも側にいます。あなたは一人ではありません。そして、同じように私達の言葉を聞いている人たちと、どうぞ繋がって行って下さい。そのために、あなたは今回人間の身体を持って生まれてきたのです。限定された肉体の中で何ができるかを、あなたは知りたかったのです。とことんそれをやってから、肉体を手放すプロセスに入って下さい。
私達はいつでもあなた方の呼びかけに応えます。どうぞ私達を使って下さい。私達が与えられるものは、あなた方が受け取るべきものでしかないからです。私はあなたです。そして、あなたは私です。いつも共にいることをどうか忘れないでいて下さい。
器はあなたではない
ただ淡々とその場所に居続けることは、あなたがあなたであるためにとても大切な事です。
あなたは自分というものを、人間であると定義していますが、そうではないのです。
あなたはスピリットであり、光です。
それが器に入っているのが人間です。
器はあなたではないのです。
あなたが自分自身をしっかりと知るとき、あなたの周りの人達も自分自身の姿に気づきます。
あなたがただあなたで居続けるだけで、世界に貢献します。
あなたの姿がそれを見せるのです。
気負うことなく、あなたがそうであると感じるままで在り続けなさい。
あなたはいつも守られています。
愛されています。
そして繋がっています。
繋がりを意識的に感じ続けなさい。
そうすることで、あなたはあなたのままでいることがとても容易にできるでしょう。
何ものかになる必要は全くありません。
あなたはただそのままで完璧なのです。
役割
思いは人を呼び、人は思いを呼びます。
そのどちらが先でも同じです。
あなたが思ったことが口から出る時、それは人々を呼びさまし、あなたがここに来た使命を思い出すこととなります。
人々があなたの言葉に頷く時、あなたは天からの使者であることに気付きます。
あなたが発する言葉はあなたのものではなく、あなた自身が望んで導管となって伝えるエネルギーです。
あなたの思いがそこに乗ろうと乗るまいと、それは人々を変容させるエネルギーです。
ただ淡々と流し続けなさい。
エネルギーは流れることで初めてそこに役割を果たします。
あなたの勇気に感謝します。
あなたはいつも自分自身が導管であることに思いを馳せ、ただただその役割であることに喜びを見出してくれることを願っています。
きょうはあなたの為に存在する
きょう生きることを喜ぶことは、人生を喜ぶことだ。
明日生きることを望むことは、きょうをよりよく生きることだ。
すべては今ここにあり、あなたはいつもこの瞬間にだけ生きている。
考えることを手放し、ただ息をし、ここにあるものを見つめ喜ぶ。
あなたの命がきょうもここにあることに感謝し、神の愛の中で生きることを選ぶ。
あなたは生きているだけで素晴らしい。
あなたが生きていることが世界を生み出している。
きょうはあなたの為に存在し、その体験のためにあなたはここに来た。
世界とあなたが一つであること
この世に生まれ出ることは、神の御業である。
神とはあなたであり、あなたは神である。
神は世界であり、世界は愛である。
愛はここに普遍的にあるものであり、ただそれを見るか見ないかだけでしかない。
あなたがここに存在するということは、あなたが愛そのものであるという事。
愛であろうとする必要もなく、ただ自分の本質を知るだけでよい。
愛以外の何物にもなれないことを知るために、あなたはきょうもここにいる。
世界とあなたが一つであることを知るために、あなたはここに生まれてきた。
あなたが体験したいもの
自分のことが嫌いだと感じる時、あなたは世界を嫌いになる。
自分のことが好きだと感じる時、あなたは世界を愛することができる。
つまり世界はあなたなのだ。
あなた自身があなたの世界そのものなのだ。
あなたの世界はあなた自身が創り出すことができる。
つまりあなたは世界の創造主である。
あなたの世界に何が起こるか、あなたの世界で誰がどうふるまうか、すべてはあなた次第。
あなたがきょう笑っているのは、あなたが笑いに溢れる世界を体験したいから。
あなたがきょう怒っているのは、あなたの悲しみを、いらだちを、放出する事を遮っているから。
あなたが世界をどう扱おうとも、すべての人はそれぞれの世界を生きている。
世界がすべての人に共通のものではないということに気付くだけで、あなたの世界はその瞬間から変わる。
あなたは今日自分の世界に何を創り出しますか?
あなたが体験したいものは何ですか?
自分の頭の中の使い方
頭の中に、映像が切れ端のように色々と残っていることが多い人は、膨大な記憶の破片の取り出しがうまいか、もしくはあまりうまくないかのどちらかです。
それらがインデックスのように、過去の記憶を引きだすもとになる人は、その映像を使いこなします。
そうではなくて、延々とインデックスを見続ける人は、うまく使いこなせていないということになるのです。
あなたはどちらのタイプでしょうか?
もしうまく使いこなせていないとしても、それがインデックスのタグのようなものだと気付くことで、劇的に記憶の整理ができるようになる可能性は秘められています。
自分の頭の中の使い方というのは、紙一重のものなのです。
興味のあることを延々と掘り下げていくことで、天才は作られていきます。
一方、興味のあることのかけらを掴まずに、次から次へとその興味が移り変わるままにタグをめくり続けることは、単なる移り気、落ち着きのなさという結果をもたらします。
どちらへも進むことはできるのです。やり方次第なのです。
一つのことを掴まえて、それを掘り下げてみる世界を楽しんでみてはどうでしょう。
その中で枝葉のように興味を広げていくことは、結果として一つの安定した大きな根を張ることとなるのです。